「かっぺの逆襲」にかける思い(Y)

 3月11日以来つづいている福島第一原発の事故は、私たち首都圏の住人にじゅうぶんに見えていなかった問題をつきつけているようにみえる。いや、「じゅうぶんに見えていなかった」というのは、少しちがう。私たちが「見てみぬふりをしてきた問題」をつきつけられているのだとおもう。

 私たちの多くは――科学的に正確な知識まではなかったにせよ――「原発はどうも危険らしい」という認識ぐらいはもっていたはずだ。だからこそ、そのほとんどが首都圏で消費される電力のために、原発が福島や宮城や新潟におしつけられてきたのではないか? それをおしつけてきたのは、東京電力と政府だけではない。原発核燃料サイクル施設が設置されたのが東京ではなく、福島・宮城・新潟・青森だったからこそ、私たち首都圏住人の大多数は安心してそれを容認してきたのではなかったか?

 すくなくとも私は、3月11日になってはじめて原発の危険性に気づいたわけではないし、東京電力と政府が一体となってすすめてきた「原発は安全です」キャンペーンに一方的にだまされてきたわけでもない。また、原発が定期検査のたびごとに、被ばくにさらされる労働者を必要とし、かれらが地場産業が破壊されて働き口のかぎられた地元の農漁村や、釜ケ崎などの寄せ場から集められていることも知っていた。

 地方の人間やいわゆる底辺労働者をより大きな危険にさらすことで、原発はこれまで稼動してきたし、原理的にそうでなければ稼動不可能なのが原発だ。原発は差別構造を利用することで稼動でき、またそれが稼動し続けるためにたえず差別的な社会構造を維持・再生産する「必要」をうみだす。

 そういったことは、べつに3月11日以降になってあらたに明らかになったことではない。私たち首都圏住人にとっての3月11日以降のあらたな状況とは、遠くはなれた地方につくったはずの福島第一原発から現実に放射性物質が飛んできていること、これによってなにより原発への関心をスイッチ・オフすることが難しくなったということだとおもう。

 3月11日以前、私をふくめた首都圏住人の大多数にとって、原発は「ひとごと」にすぎなかった。それが危険であること、それゆえ地方に設置されているということ、また被ばくのリスクを負う労働者の存在について、「知らなかった」のではない。「安全神話」など最初からなかった。知っていて、関心のスイッチを切っていたのだ。特定の人間が自分たちよりも大きなリスクを負っていることについて、「ひとごと」と切断処理し、関心のスイッチを切ることができるという、そこに差別があるのだとおもう。

 いよいよ放射性物質が飛んできて、首都圏住人にとって原発の問題ははじめて「ひとごと」ではなくなった。食品の汚染も首都圏住人の危機感をかきたてている。現実に自分にも危険がおよんできたことで、首都圏では「脱原発」の言論と運動がおおきくもりあがっている。

 でも、残念ながら現状では、首都圏での脱原発・反原発の主張や運動でさえ、首都圏と地方のこれまでの経済的・社会的な関係や、被ばく労働について、問題化しようとしているものは多くないとおもう。それどころか、その主張・運動の一部には、差別の問題への関心を意図的にスイッチ・オフし、「右も左もなく」「小異を捨てて」「国民的な」「大同団結」をつくっていこうという志向さえみうけられる。

 私は、こうした脱原発なり反原発なりの運動にくみすることはできない。冗談じゃないよ、とおもう。かりに、このような運動の結果として「日本」が「脱原発」へとむけて進みはじめたとしても、地方の人間はまた踏みつけられつづけることになるだろう。汚染された廃棄物やガレキは、地方か海外におしつけられるだろう。廃炉された原発の周辺の地域には、また地元の人間の労働力を劣悪な条件で安く買いたたき、中央に一方的に利益を吸いあげる産業があらたにできるかもしれない。そのあらたな産業が原発と同様の労働災害や環境破壊をもたらさないともかぎらない。

 「脱原発」では終わりではない。「脱原発」で終わらせないために、そもそもなぜ地方の農漁村にばかり原子力関連施設がつくられてきたのか、なぜそんなおしつけが可能だったのかということを、歴史的に理解しなければならない。なぜ、深刻な地域の分裂・対立をうみながら、原発の「誘致」がすすめられてきたのか? こういったことを中央との関係において理解する必要があると考えている。

 私は、原子力関連施設のある町ではないけれど、東北地方出身のかっぺである。そうでありながら、いままで東北のこと、東北にかぎらず、首都圏や大都市との関係において地方がどんな位置に置かれてきたのか、具体的に知ろうとしてこなかった。しかし、3月11日以後のもろもろの出来事から、これに無関心ではいられなくなった。

 「かっぺの逆襲」では、かっぺたちとともに、地方の歴史と現在について、勉強会をもよおし、また発信していきたいと考えています。かっぺにも、いろんなかっぺがいるとおもいます。かっぺのくせに自分がかっぺであることをわすれて首都圏でのうのうと暮らしている、かつての私のような、いまだ目ざめざるかっぺもいることでしょう。また、東京うまれなのに「自分はどうもかっぺなんじゃないか?」とおもっているひともいるかもしれません。かっぺは出自も国籍も問いません。「われこそはかっぺだ」とおもうかたの参加をお待ちしております。(Y)