「かっぺの逆襲」にかける思い(村山)

 福島の原発事故の発生から、まもなく5ヶ月が経ちます。原発廃止を求めるアクションは各地で活性化し、万を超える人がデモに参加しており、世論は原発廃止の方向へ変化しています。しかし、これまでにも何度か原発反対のうねりが広がった時期があったのに、なぜその勢いが今回の事故が起きるまで継続しなかったのでしょうか。原発反対の思潮が広まりつつある今だからこそ、一度立ち止まって考える必要があるように思います。

 いま、多くの人々が放射性物質の脅威に曝されています。その恐怖や未来への懸念から行動を起こすことは間違っていません。ですが、それだけでは事故の収束が見えてきて放射線量が減少したら、多くのことが忘れられてしまうのではないでしょうか。原発がこれほど多く建つことを可能にした構造を見据え、言葉にする必要があるとわたしは思います。

 今回の事故は、中央と地方の間の歪な関係を可視化しました。これは決して忘れられてよいことではないでしょう。原発が続々と建設され、地方がリスクを背負うことになった背景は原発が過疎化と産業の空洞化に悩む地域に狙い打ちのように建てられ続けてきたことにあります。「どうして自分たちの住む地域で使うわけでもない電気をつくり、事故にあわなければならないのか」。わたしは、福島の人が避難してこられた埼玉の地で、そんな声を聞きました。その言葉が、今も耳の奥にこだましています。

 わたし自身は秋田生まれの「在京東北人」です。家族は第一次産業で今も生計を立てており、福島・宮城といった南東北には親戚や、仕事を求めて県外に飛び出した友人がいます。わたしは彼らと同じ立場にはありませんが、自分の故郷の人たちが資本や政界、官僚機構の思惑のために危険に曝されることには、声をあげたい。そんな思いをもつ人は、地方出身者が多い東京では少なくないのではないかと想像します。

 首都圏の繁栄のために電気を送り続ける発電所は、いまや青森県下北半島にまで作られようとしています。原発を推進してきた人たちは、今以上に首都圏で電力が必要になったら、次はどこに建設するつもりなのでしょう。北海道でしょうか。それとも、目を西に転じて東海、あるいは甲信越に作るのでしょうか。

 都市の発展過程では、エネルギーの問題、公害の問題、廃棄物の問題が必ず生じます。そして、それが成長の制約条件にもなります。しかし、過去の歴史において、都市はそうした支障あるものを地方に移すことで解決してきました。原発だけではありません。千葉の自治体から東北や九州へ、暫定基準を上回る放射性物質を含む焼却灰が送られていた問題は、20年以上前に大問題になった首都圏からの産業廃棄物や一般廃棄物の地方への大量搬出、同じ構造の上に、新たな問題が積み重なっておきた事態です。

 わたしは、東京という場所が、誰かを下敷きにすることで成り立つ場所ではあって欲しくないと住民として強く願います。それはもちろん、原発の問題だけに留まるものではありません。先ほどは廃棄物の問題を引き合いに出しましたが、政治・経済上の要請により、地方に問題が転嫁される構造は、他の問題でもみられるものです。

 ここまで長々と書いてきましたが、わたしは仮に原発を止めることができたとしても、同じ構造が残ってしまうのであれば、それを喜ぶことはできません。一言でいえば、今、問われているのは、都市に暮らしているわたしたち自身、そして、それをとりまくシステム、この2つだと思います。様々な思い・疑問・戸惑いを共有する仲間と街頭で出会えることを期待しています。

村山 森哉